ヴェルディがんばっ! -187ページ目
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サッサースクール

ワールドカップで日本中が盛り上がっている頃、当然我が家でも盛り上がっていた。でも妻だけはいつもと変わらない感じだったが、子供のサッカースクールに「保護者」として見ているうちに少しづつではあるが興味を抱き始めた様子。しかも次男はJリーガーくずれ(失礼)のコーチいわく「長年のコーチ生活でもみたことの無い逸材」と言われれば親としても悪い気はしないものだ。確かにボールにみんなが集まる幼稚園生のサッカーにおいてフィジカル・スピードは群を抜いており、試合を見ていても「違う生きもの」が一匹入っているようで遠くで見ていても自分の子はすぐわかる。一試合で8点取ったこともあった。周りの保護者からも「こんなところよりもキチンとしたところで」などの薦めもあって「ヴェルディ」を選ぶまでには時間が掛からなかった。

2002年春

完全にサッカーにハマった子供達に「サッカースクール」なるチラシが飛び込んできた。そんなに本格的なものではなく、「サッカーの楽しさを知る」みたいなもので、始めるには入りやすかった。近所の子たちもたくさん入るみたいだったし。長男は新4年生で次男が年長だった

代表戦

ゲームを通じて「サッカー」というものを理解してきた子供達は徐々に父親が熱狂的に見ていた「代表戦」に興味を示すようになってきた。世間でも2002年のワールドカップに向け熱くなってきたし。子供達の関心は俊輔とヒデ。〓と〓の入った代表Tシャツ着て喜んでたなぁ。

ウイイレ

当時、暇さえあればやってたなぁ。自分はサッカーしないくせに。その前に友人から貰った「サカつく」にハマってたこともあり、やけに戦術とかにも詳しくなってたりしてたし。この頃、二人の子供がゲームに興味あったから「それ面白い?」とか聞いてきて一緒にゲームするようになった。父親の意地か、習得の早い子供に負けまいと「ワンツー」とか「スルーパス」とかは教えなかった(ズルい)

きっかけ(3)

代表戦は、かかさず見ていた。もちろんテレビで。試合のある日は家族で出掛けるのも嫌だったし、出掛けていても「早く帰ろう!」って言ってた気がする。もちろん「そんなのビデオに撮ればいいじゃん!」と言い返されてたけど。内心は「スポーツはリアルタイムじゃなきゃ駄目なんだよ」って思ってた。この頃、友達から借りたウイイレもよくやってた。

ヴェルサポになるきっかけまでの道のり(2) 

Jリーグが開幕した!と世間では騒いでいた頃、全く興味がなかったので「本当に流行るの?」と思っていた。当時勤めていた会社の同僚などがサッカー観戦後、会社に顔を出し「いや~楽しかった」などと騒いでいたのを凄く鮮明に覚えている。ちなみに彼らの応援チームは「マリノス」だった。選手の名前を挙げ、あーだこーだ熱論していたのも印象的だった。ただ私もヴェルディにカズやラモスがいたのは当然知っていた。でもJリーグ開幕後もテレビでさえも見ることも無く、サッカーを見るとしたら代表の、しかも重要な試合くらい。さすがに「ドーハの悲劇」の時はテレビ前で熱くなり、涙を流したこともある。サッカーって面白いな!ってこの時は思った。

ヴェルサポになるきっかけまでの道のり

1967年にヴェルディより2年先輩ということで新潟に生まれる。最近では中越大地震とかで有名になった「まさにあの場所」で高校まで過ごし上京。この時点ではヴェルディはおろか読売クラブとの一切の関わりはなし。唯一少し関連があるとすれば熱烈なジャイアンツファンであった。サッカーなんぞに全く興味も無く、サッカーのどこが面白い?やっぱ野球でしょ!としか思えなかった時代。同い年の清原・桑田を必死に応援してた。残念ながらJ開幕まで、いやその後も一切ヴェルディとの関連は全くなかった。
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